(以下、天、というのが、毘沙門天です。)
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私「おはようございます。
お名前を教えていただけるでしょうか?」
天「毘沙門天」
私「少しお話させて頂いてもよろしいでしょうか?」
天「かまわぬ」
私「人の世には貧富の差があります。なぜでしょうか?」
天「うむ。
富めるものと、貧しいもの、様々在るのじゃ。
それぞれに、異なる豊かさがある。
我は、その両方を見守っておる。
それぞれの生活の中で、
得られる華、光、があるのじゃ。
良く見てみるがいい、富める者が得るものと、
貧しいものが得るものを。
どちらが優れている、ということではないのじゃ。
貧しいものを見てみよ。
その限られた中に、どんな美しさがあるか。
富めるものを見てみよ。
得た金銭に振り回されるのではなく、
金銭の扱い方が肝要だということがわかるじゃろう。
貧しいものの中に、
より多くの富を得るようになりたいと
の思うものもおる。
自然なことじゃがな。
より富めるように、というのは
人の原動力ともなりえるものじゃ。
それが、世の流れを生み出しておる。
貧富の位置、というのも、絶えず動いていくものじゃ。」
私「今、貧しいか、富めるのか、その状態ではなく、
今をどう想い、今をどうするのか、ということが
大切、ということでしょうか?」
天「貧富の度合いにのみ、心をとらわれると、
見えなくなるものがある。
金銭というのは、絶えず動いているものなのじゃ。
そこからも、人のありようというのは、
問われ続けている、ということじゃな。」
私「本日はどうもありがとうございました。」
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