福を受け取る

こんにちは、朝風です。

毘沙門天とのチャネリングです。

(以下、天、というのが、毘沙門天です。)

-----------------------------------------------------------------------

私「名前を教えていただけるでしょうか?」

天「多聞天

私「お話させてもらってもよろしいでしょうか?」

天「かまいませぬよ」

私「心無き者や悪しき者には
  福は与えられないものなのでしょうか?」

天「彼らは福を与えられるのではなく、
  福を他人より奪うもの。
  
  我は奪い方など教えてはおらぬ。
  
  福は受け取るもの。
  心無き者、悪しき者は、手にした金子の扱い方にも
  その心根が出るもの。
  
  福とは与えられ、際限なく、その豊かさの中に
  喜びを見出せるものだ。
  それでこその福。
  
  人より奪いて、やましい心あるものに、
  そのような喜びは見出せぬ。
  
  もっと、奪おうと、悪知恵を練り、
  心安らかならぬものなのだ。」

私「心ある者、そして、信じる者には、
  福が与えられるのでしょうか?」

天「もちろんだ。
  
  福を受け取るためには、
  その受け皿がいる。
  
  何も無いところに、
  福が出てくるようなことを信ずるのではなく、
  受け皿をちゃんと用意することだ。
  
  商売のやり方を工夫するもよし、
  人の縁を築き上げるもよし、
  価値のある仕事を一生懸命するもよし、だ。
  
  何も無いところから
  濡れ手に粟のようなものを期待するところに、
  心無き者、悪しき者の手が忍び寄る。
  我はそれに関知はせぬぞ。
  
  自らがどのように、人に良いものを与えていくか、
  そこからも、福というものは生まれえるものだ。
  
  福を望むものは精進せよ。
  その報酬は、みなに与えられる。
  
  山あり、谷あり、手元の金子の増えた減ったに、
  心揺れるものもあろうが、
  全て、学びとして受け取る素直な心あれば、
  福は訪れるものよ。」

私「本日はどうもありがとうございました。」

-----------------------------------------------------------------------