(以下、弁天、というのが、弁才天です。)
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私「おはようございます。
お名前を教えていただけるでしょうか?」
弁天「弁才天よ。」
私「お話をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
弁天「かまわないわよ。」
私「人は理屈抜きに珍しいものに高い価値を置くところがあります。
これはなぜでしょうか?」
弁天「珍しいもの、それは人に新鮮さを与えるわ。
人は退屈を嫌うもの。
いつも同じ、というよりも、何か違うところ、
何か新しいところ、というものを好むの。
いくら珍しくても、見るのに飽きたら、
棚の奥にしまって見向きもしないわ。
ただ、珍しいものだから、
ほかでそれを見ることはないの。
だから、自慢になるのよ。
そこに、自分の価値を置く人もいるでしょうね。」
私「金銭の流れとも、連動するところがあるようにも思います。」
弁天「そうね。
金銭の流れは、人の想いと繋がっているわ。
多くの人の想い。
多くの人が同じようにある珍しいものに
価値を置くと、お金が流れるわね。
珍しいから、誰もが手に出来るわけではない。
手に入らない、というところにもまた、
価値が出てくるのね。
おかしいわよね。
手に入らないなら、
手に入れるようになりたいと想う。
しがみつくのが好きな人は多いから。」
私「それを楽しむところがあるようにも思います。」
弁天「そうね。その通りよ。
楽しんでいるぶんにはいいのだけれども、
過剰なのは、別のものの流れを止めることにもなりうるわ。
それは、見苦しいものね。」
私「本日はどうもありがとうございました。」
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