こんにちは、朝風です。
(以下、天、というのが、毘沙門天です。)
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私「お名前を教えていただけるでしょうか?」
天「毘沙門天じゃ」
私「おはようございます。
少しお話させて頂いてもよろしいでしょうか?」
天「かまわん」
私「人が働きすぎてしまうのは、なぜでしょうか?」
天「己の心に素直になっていないからじゃ。
何かに駆り立てられる。
そうでなければ、ならないと念ずる。
それを他者にも向け、
それが同調され、集団の性質として、
そういう波長が作られ、広がっていく。
己の心に素直になれば、
それが本質と外れているものであれば、
それに気付き、いかようにも修正できる。
仕方ないこともあろうが、
自らの歩む道のりに沿っているものかどうか
見極める知恵も必要であろうな。
知恵は、頑なな心からは遠ざかるものじゃ。」
私「知恵を見出すには、自らの本質に近づく、
ということが鍵になるのでしょうか?」
天「知恵には、知恵の性質がある。
そのものの知恵が、どういうときに働くのか、
そこに、個のありようがあらわれる。
おぬしの場合は、自由であることじゃ。
心に縛りがあれば、何も思い浮かばなくなるであろう?
人によって、その鍵は異なる。
知恵とは自然にあふれるもの。
おぬしは、心の縛りが、しばしば、その制限となるな。
人のことは、そのものを良く見てみるといい。
そこから、見えてくるものがあるじゃろう。」
私「本日はどうもありがとうございました。」
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