(以下、弁天、というのが、弁才天です。)
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私「名前を教えていただけるでしょうか?」
弁天「弁才天よ」
私「お話させてもらってもよろしいでしょうか?」
弁天「ええ、かまわないわ。」
私「人はお酒をたしなみます。
それが人に与えられたのは、なぜでしょうか?」
弁天「人は凝り固まりやすいのよ。
それを解きほぐすためね。
なんでお酒が飲みたくなるの?
おいしいから?
もちろん、そうね。
忘れたいから、打ち解けたいから、
気を紛らわしたいから、
騒ぎたいから、
疲れを癒したいから、
いろいろあるわよね。
人にとって、あらゆるものにとって、
流れていく、ということは必要なもの。
あるところに留まろうとするのは、
不自然なのよ。
人にとっては、それがなんらかの不快感につながる。
退屈、とか、縛られている感じがする、とか、
お酒は、人に流れを呼び込むもの。
ただ、流れているといっても、
おんなじところをグルグルまわる人、
お酒に執着してしまう人はいるわね。
お酒自体も例外ではないのよ・・・
受け取って、手放す、ということ、
それは大事よ。」
私「神事に出てきたりしますよね。
そこにも意味はありますか?」
弁天「それぞれによって、その意味は異なるわ。
お酒自体になにかがある、というより、
お酒に人がなんらかの意味を感じるでしょ?
まず、その人々の持つ精神性が、
そのお酒に意味を持たせるの。
神事には、様々な象徴が出てくるわよね。
その中で、あることをするのに、
お酒、というのがぴったり、と
その人々の精神性、お酒につけた意味合いから、
思えるところが出てくるのよ。
例えば、浄化、ね。
お酒はいろんな特徴をもっているものだけれども、
そこから、人が、いろんな意味合いを
持たせるものなのよ。」
私「本日はどうもありがとうございました。」
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