こんにちは、朝風です。
(以下、弁天、というのが、弁才天です。)
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私「名前を教えていただけるでしょうか?」
弁天「弁才天よ」
私「お話させてもらってもよろしいでしょうか?」
弁天「ええ、かまわないわ。」
私「国とは、そもそも何なんでしょうか?
国、というものの本質について、
教えていただけるでしょうか?」
弁天「人が集まり、暴力を振るうことが出来るもの。
昔からそうよ・・・。
敵がいないのであれば、
国なんて作る必要もないわ。
遊んで自由に暮らす民もいるのよ。
そのものたちにとっては、必要なものだったのかしら?
それでも、その生活を脅かすものが登場した場合は、
彼らは自衛のため、
集団を作る必要があった。
そのものがどう思うのであれ、
それを外から見たときに、
暴徒としてしか見えないのであれば、
国とは認められないため、苦労も多かったはずよ。
その時代にあった、その世界のあり方、
認められ方に合致したものであれば、
国と認められる・・・それを切望した集団も多くあった。
滅亡していったもの、
繁栄しているもの、さまざまあるわね。」
私「国をまたぐと、神が変わる、そんな気がしています。」
弁天「土地が変わると、精神性が変わるの。
人の流れが生まれ、土地をまたいで存在する精神性もあるわね。
だから、もはや混沌としているわ。
ただ、神を認識するときに、
その精神性、というのが基盤になるから、
人の解釈が変わるのよ。
私達はここにいるわ。
あなた方が、勝手に、別物と解釈しているのよ?」
私「国、というのは必要なのでしょうか?」
弁天「あなたにとって、家は必要かしら?
あなたにとって、個人の財産は必要かしら?
多くを共有するためには、
人全体の、精神性が問われ、
個人の枠組みで閉じるためには、
その個人にとって、力が問われるわ。
今のありかたは、人が望んで形成しているもの。
自らにとって、ベストと信ずるあり方。
そこに落ち着いているのよ。結果的にね。
国、というものがなければ、
この星を共有することとなる。
今のあなたがたに出来るのかしら?」
私「無理、ですね。
いつの日か、そういうときが来るのを
想像すると、美しい気はします。
ただ、お話を聞いていて思ったのですが、
境界線をなくしても、別の境界線が生まれるだけ・・・
そこにとらわれているうちは、
すみわけ、というのが必要なのだろうと思います。」
弁天「ふふっ。あなたはそう思うのね。
すみわけ、というのはかまわないのだけれども・・・。」
私「そうですね・・・。
人同士がお互いの違いを認識していることに対して、
自身の心の中に、今のあるがままを認めることが
出来ていないところがあるかもしれません。」
弁天「そうかもしれないわね。
今日は、もう帰りなさい・・・。」
私「本日はどうもありがとうございました。」
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