神への冒涜

こんにちは、朝風です。

木花咲耶姫とのチャネリングです。

(以下、花、というのが、木花咲耶姫です。)

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私「名前を教えていただけるでしょうか?」

花「木花咲耶姫じゃ。」

私「お話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」

花「かまわぬぞ。」

私「神への冒涜という言葉があります。
  それは人がそうだと思っているだけで、
  神々は違う見方をしているのではないかと思うことがあります。
  実際、どうでしょうか?」

花「人の役割というのがあろうな。
  約束事じゃ。
  
  人と神との関係において、人が頼ろうとするのであれば、
  そこになんらかの約束事というのが生まれる。
  より、神の気が通りやすくするための作法じゃな。
  
  それをやぶることを、冒涜、というのではないか?
  
  神と人との関係性を維持するのが、困難になるのじゃ。
  
  もちろん、それで困るのは、人じゃ。」

私「そのことが、なにか取り返しのつかない罪、のように
  言われるのを聞くことがあります。」

花「それはそうじゃろうな。
  せっかく、先人達が築きあげたそれを、
  そのものが、破壊するような行為を行うのだから。
  
  だから、そういうことがないように、
  人の中で、そういうことをしないよう、
  戒めとして、冒涜、というのがあるのじゃ。」

私「それは、神が人を裁くのですか?」

花「裁く、とな・・・」

私「質問がおかしかったでしょうか?」

花「よいか、人が頼るのを、我らが手を貸そうというときに、
  約束事守られず、気が通らなくなったときに、
  人にその恩恵が滞るとしたら、
  それは罰とおぬしは言うのか?
  
  そちは、神が人を裁くのではない、と思い、
  我にその確認を取りたかったのであろう?
  
  それについては、まず、己の中でよく内観してみてはどうじゃ?
  
  おぬしが、心の中で人を裁いているのであれば、
  まだまだじゃ・・・。」

私「本日はどうもありがとうございました。」

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人から評価されたくない | 心鈴泉-心理学とカウンセリング